江戸時代かそれより前に建てられ、現在まで保存されている天守は全国で12ありますが、そのひとつである国宝、松江城に行ってきました。現存天守を見学するのは、2022年8月5日の松本城(長野県)以来です。関ケ原の戦いで功を上げた堀尾忠氏が若くして死去(松江城の築城場所の領地見分の際、マムシに咬まれて亡くなったという説があります)、その父親である堀尾吉晴氏が6歳で当主になった孫の忠晴の後見人となって1607年に築城工事を開始し1611年正月に完成。その年の6月に吉晴氏は死去、忠晴も1633年に死去した際に嗣子がなく改易、その後に京極忠高が移封したものの嗣子がなく再び改易、1638年に松平直政が信濃松本藩から移封、以後廃藩置県までの約230年間は松平家の治世という歴史があります。
最上階天守閣は天狗の間と呼ばれ、360度の眺望があります。なかでも西側には宍道湖が良く見えます。
松山城建設時は全国的に城の建設ラッシュで木材が不足していたことから、柱も継いだり、あるいは梁の上に柱を立てるなど、構造上のバランスを工夫して木材使用量を少なく建設されていたそうです。当時の大工棟梁は、かなり苦労されたのだなと想像いたします。柱の継には鎹(かすがい)や鉄輪(かなわ)で留められている部分もあり、包板(つつみいた)で柱を覆って隠していました。天守閣にある総数308本の柱のうち130本(42%)が継材だったそうで、割れ隠しなど不良材の体裁を整える目的もあったそうです。
このほか、城内の床の継ぎ目から下層が見えているなど、よほど木材不足だったのかなと思わせる部分もありました。
お堀の中の遊覧船は、時間の関係で断念せざるを得ませんでした。