先月28日に参拝しました島根県の出雲大社の分社になります。でも、拝殿に設置されている大しめ縄はご本家のもの(神楽殿)よりも大きく重く、6トンにも及ぶもの。今年7月28日に新しく架け替えられたので、色も鮮やかです。
お賽銭をしめ縄に投げて挿すお詣り方法があるようで、しめ縄にはコインが刺さっていました。五円玉が多いのは、ご縁があるようにということでしょうか。ちなみに、このお詣り方法は出雲国出雲大社にはありませんでしたね。
拝殿の中はこのように天井が高く、奥にあるご本殿を拝むことができます。お詣りの方法は、二礼四拍手一礼と、四回柏手するところは出雲国と同じです。でも、お詣り方法が書いてあるのはお賽銭箱の近くに小さく表示されているので、二拍手でお詣りしている人、結構見かけます。
ご本殿の外側は塀に囲まれて見えないので、HPから写真を拝借しました。出雲国出雲大社のご本殿は左右非対称ですが、こちらは左右対称ですし、屋根は銅板葺きです。
拝殿に向かって左側には、大国主命(おおくにぬしのみこと)の大きな木造がありました。大きな袋を背負っているだけでなく、手のひらの上にも大国主命がおられました。
ちなみに、大国主命(おおくにぬしのみこと)は、大黒様(だいこくさま)と呼ばれることがありますが、大黒天(七福神の一つ)とは違うそうです。国と黒と違いますよね。
どちらも大きな袋を背負っておられますが、大黒天はもともとヒンドゥー教の主神の一つ、シバ神の別名と言われており、青黒い身体をもつ破壊の神だそうです。大黒天は、インドから中国を経由して日本に伝わってきました。特に中国では「かまどの神」と崇められていたため、日本でも大黒天は台所のかまどを司る神様として崇められるようになっていきます。
日本に渡ってきた大黒天はその後、平安時代頃に「大国主命(おおくにぬしのみこと)」と習合します。大国主命とは「大黒」と「大国」が同じ「ダイコク」という響きで通ずるため、次第に一体視されるようになったと言われています。
また、大国主命は袋を担いだ姿で表されることが多かったため、日本での大黒天はインドのマハーカーラのような荒々しい形相ではなく、大国主命に寄せた袋を担ぐ姿で表されるようになっていったそうです。笑顔や持ち物の他にも、現代の日本で描かれる大黒天にはふくよかなイメージがあります。しかし、日本に伝わったばかりの大黒天は、ほっそりとした姿に描かれることが多い神様でした。それは、平安時代後期に作られたと見られている、大宰府の観世音寺所蔵の木造大黒天立像が、スリムな姿で厳しい表情を浮かべていることから分かります。
そこから大黒天が現在のような短身で福々しい姿になったのは、室町時代の頃に「大黒天=福の神」というイメージが定着し始めたのがきっかけだと言われています。
こちらがヒンドゥー教のシバ神の像です。ずいぶんイメージが違いますね。
今は、紅葉の特別御朱印を頒布中とのことでいただきました。写真ではわかりにくいですけど、美濃和紙に描かれている紅葉は刺繍なんですよ。