時は平安時代の終わりの1155年2月、源義経は四国屋島に陣をしいていた平氏を背後から攻めたて、慌てた平氏は船で海に逃れ海辺の源氏と対峙することになりました。
夕暮れになったころ、沖から立派に飾った一艘の小舟が近づいて来ました。見ると美しく着飾った女性が、日の丸を描いた扇を竿の先端につけて立っています。「この扇を弓で射落としてみよ」という挑戦でした。
義経は、弓の名手である弱冠20歳の那須与一を呼び寄せ「あの扇を射て」と命じました。
与一は何度も辞退しましたが、義経のパワーハラスメントで聞き入れられず、意を決して馬を海中に乗り入れました。このとき与一は。与一は目を閉じて「南無八幡大菩薩、とりわけわが国の神々、日光権現、宇都宮、那須温泉大明神、願わくはあの扇の真ん中を射させてくれ給え。これを射損じる位ならば、弓切り折り自害して、人に二度と顔を向けられず。今一度本国へ向かへんと思し召さば、この矢外させ給うな」と念じ、鏑矢を取ってつがえ、十分に引き絞ってひょうと放ちました。鏑矢はなんと正確に扇の要から一寸ほど離れたところを射切った。沖の船にいた平氏の兵士も陸にいた源氏の兵士も、これには等しく感動したと平家物語で語られています。
その那須温泉大明神がまつられている神社です。
早朝、誰もいない神社は、空気がリンとして大変すがすがしい気持ちにさせてくれます。
頭を下げてなんどか鳥居をくぐり、紅葉がはじまった参道を歩くと、ご本殿につきました。
温泉神社の拝殿の右側からは、那須温泉「鹿の湯」の源泉が出ている「殺生石」付近を眺めることができます。いつもは観光客が多いのですが、平日の早朝だったこともあり誰もいなかったです。