12歳まで過ごした東京都大田区池上。もう何年振りになるかわかりませんが、機会がありましたので出かけることにしました。まずは蒲田駅へ移動です。千葉ニュータウン中央駅からのルートはいろいろありますが、今回は泉岳寺駅まで都営浅草線直通電車に乗車して、高輪ゲートウェイ駅で乗り換えることにしました。泉岳寺駅で降りると、かつてJR線の操車場があったところに大規模開発工事がされていて、鉄骨工事が行われていました。大林組の現場ですが、場内は整然としていて、さすが大現場の所長がきちんと施工管理しているのだなとの第一印象でした。2階梁は巨大な鉄骨に鉄筋が施されて楊重を待っている状態でした。思わず見入ってしまいました。
高輪ゲートウェイ駅の改札ですが、かつてのように改札口に隣接している切符売り場が無いのは、昭和生まれの私には驚きです。切符を利用している方はほとんど見当たりません。
ホームに降り立ってみると、床が木の色なのですね。ちょっとおしゃれな感じがしました。
そしてホームからは残っている操車場が見えます。横須賀線・総武線がお休みしていました。
京浜東北線に乗車して蒲田駅で降り、次は池上線です。ここはターミナル駅で3両編成が4編成停車できるようになっています。かつては、池上線の隣は目蒲線と呼ばれていて、目黒行だったのですが、今は多摩川線と呼称が変わっていました。最近まで呼称変更を知らなかったのが少し恥ずかしいです。
池上線で二駅乗りました。なんとワンマン、運転手さんだけで車掌さんが不在なのが新鮮に感じました。池上駅の駅舎はこちら。小学生の頃の駅舎は木造平屋で、改札口は北側に1カ所しかなく、五反田方面には改札を入ってから踏切を渡ったものでした。ここまで変わっているのには正直驚きました。
冒頭の写真は6年間通った大田区立徳持小学校です。当時は木造校舎でしたのでだいぶ変わりました。
近くにある日本体育大学付属荏原高等学校まで歩いてみました。小学生の頃は、自分たちよりも高さも幅もある体躯の高校生は少し怖かったのですが、今見るとまだまだ子供で可愛いなと思ってしまいました。